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大人の発達障害当事者が観るカラフルな未来!

ぼくが広汎性発達障害という診断をされたのは2012年8月でした。

「あなたは片足が無いのに松葉杖をつく事もせず更にはマラソン大会に出場すると言って聞かないヒトの用なものです。足が無い事にさえ気づいてないですからね。」

この先生の言葉に今の自分がいかに定型発達の人たちの間で厄介者になっているのかを悟りました。

ぼくのこれまでを振り返ってみると、ヒトとの関わりや仕事のなかで
事をエスカレートさせては壊すというサイクルを子供の頃から繰り返し
年齢を重ねるごとにその行動範囲は学校、友達、家庭、仕事と広がっていき
自身の生活さらには関わる人たちに与えるダメージも大きくなるばかりでした。

何をしていても常に満足感や充足感は無くフォーカスしている事柄や興味に夢中なだけで
マシンのように脳の起こすサイクルを延々と繰り返しているような人生でした。

さらにその頃のぼくは
「片足が無いのに松葉杖をつく事もせず更にはマラソン大会に出場すると言って聞かないヒト」
そのものだったので自分に問題がある事に気づけず周りの人たちを振り回し続けていました。

診断により自分の障害を受け入れ障害に対する知識を得たものの
38歳にしてそれまでのライフスタイルやキャリア全てを否定されたような気がして
この先どう生きていけば良いのかが全く解らない状態に陥りました。

障害を持っている自分をみじめに感じたし劣等感を突きつけられたと感じたし
とにかくショックが大きすぎて数ヶ月はおろおろとするばかりで今生きている事に現実感さえ抱けないほどの状態でした。

医学的なアプローチでは障害は治りません。カバーすることしかできないのです。
ただ広汎性発達障害をカバーしていくことはとても難しい事を僕は身をもって感じています。

自分なりに編み出したカバーの方法が社会的理解を得る事はやはり難しくさらに独特であったため
38年かけて社会的、経済的に自分自身の人生をめちゃくちゃにしてしまった経験があるからです。

仮にこれから
医療機関のサポートを得て社会に適合していくリハビリをしていって、あと何年後にぼくはどんな社会に適合していけるようになるのでしょうか?
行政のサポートを得て職業訓練していって、あと何年後にぼくはどんな職業に適合していけるようになるのでしょうか?
その社会は本当にぼくが求めている社会でしょうか?
その職業は本当にぼくが求めている社会でしょうか?
その社会にぼくは本当に適合したいのでしょうか?
その職業にぼくは本当に適合したいのでしょうか?

ぼくの答えはノーです。

ぼくは「ぼくを生きたい」し、「誰かがぼくを生きることはできない」からです。

社会的、経済的に成功することや誰かが作った価値観を生きる事がぼくの産まれた意味でしょうか?

ぼくは発達障害に対する
医学的なアプローチに否定的な意見を持っていません。
行政をはじめとする障害者支援の在り方にも否定的な意見を持っていません。

ただ、ぼくが今思うのは
これまでの自分、今の自分、これからの自分を冷静に見つめ、「どのように生きたいのか?」という魂の声に耳を傾けることができなければ
どんなアプローチでも障害による苦しみや生きづらさの改善には繋がらないということです。

ぼくがラッキーだったのはスピリチュアルな観点でこの障害と向き合うことができた事です。
「You Are Beautiful!(ユーアー・ビューティフル)- 発達障害を持つ方のためのワーク」はこの数年感の絶望的な状況を常に支えてくれました。

障害をカバーする為に何かになろうとしたり、誰かの価値観と自分をくらべて更に自分を傷つけるような事をする機会はほとんどなくなりました。
またそのような思いにとらわれネガティブになった時もふわっと「産まれた意味の探求」へと軌道修正してくれます。

生きる指針をしっかりと掴まえながら医学的なアプローチ、行政をはじめとするさまざまな障害者支援をいただきながら
これからの自分が開いていく扉の先の景色を見ていくことが少し楽しみにも思えて来ました。

それぞれの魂が唯一無二の自分だけが体験すべき事が今ここにあり、障害の有無に関わらず誰にでも平等なんだ。という気づきはぼくにとっては大きな救いでした。

発達障害で今まさに苦しんでおられる方がそれぞれにご自分の本当の目的、気付き、生きる意味、向かっていく先を見つけられる事、魂の声を聞くことが
何よりも「希望」に繋がるとぼくは考えます。

(Yさん 男性 40歳)

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